浦添市のワカリジー(ニードルロック)に行ってきた。

沖縄の文化

浦添城跡の端にあるワカリジーに行ってきました。沖縄戦の激戦地だった前田高地にある大岩ですよ。

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遠くからも見えるワカリジー

下の写真の右側に写ってるちょっと飛び出たとがった大岩です。浦添市で一番標高が高いらしく、結構遠くからも見えるランドマーク的存在です。浦添市の前田集落の拝所だそう。

ハナレジー(離れ岩)とか、ワカリジー(分かれ岩)とか、為朝岩(ためともいわ)とか呼ばれてます。米軍はニードルロックと呼びますよ。

 

ワカリジーへの行き方

すごく目立つのに、行き方は難しいですよ。浦添城跡のほうからは行けそうで行けません。浦添消防署の横から登ってくか、裏のお墓から行くか。

わたしは消防署のほうから登っていきましたよ。Googlemapここから登ってお墓の中を抜けていきます。

眺めいーな。

 

着いたーワカリジーどーーん。あれ?近くでみるとそんなに大きくないなあ。

米兵が勉強中

ワカリジーの下に米兵たちがいました。海兵隊員で、ここのあたりで起きた熾烈な戦い「前田高地の戦闘」について勉強するそうです。米海兵隊最大の戦いだったそうで。

米兵にとっては、ここは「ワカリジー」ではなく、「ニードルロック」で、とっても多くの犠牲を払ってやっと奪った場所なのですよ。

勉強の内容は、日本みたいに平和教育ではなく、そのときの作戦についてだそうです。正しい作戦だったか、自分ならどう戦うか。

ひとりの米兵がわたしを呼び止め、書いてある日本語の意味を教えてと、小さな石を見せてきました。
マッチ箱をすこし大きくしたくらいの石の裏表に、お寺の名前と人の名前、お経のような文字が書いてあり、戦死した兵隊の関係者がお寺に頼んで書いてもらった石に見えます。おそらく米兵は近くで拾ったのでしょう。

米兵が石を持って帰りそうだがら、苦手な英語を必死に脳みそグルグルフル回転し、真剣な顔でこう答えました。

「Temple pray go to heaven. Because Many many people die here.」

米兵は頭を左右にふり、あわてて石を置きました。
わたしは英語が通じてちょっとうれしい気分になりました。

でもよ、でもよ、今考えると、なんか英語おかしいぞ。

わたしが言った英語をグーグルで翻訳すると、
「神殿は天国に祈る。多くの人々がここで死ぬからです。」になった。
あああああ、、、、変な予言者みたいになってるーーー頭おかしい日本人だと思われたはずーーーちょっと英語が通じた気がして嬉しかった自分が恥ずかしい。

ごめんよ米兵。

下を向いて一列で帰る米兵。わたしのせいかも。

 

ワカリジー周辺を散策

さあ、米兵たちが去って静かになったワカリジー周辺を散策です。戦争の時にこのあたりで多くの人が亡くなったのです。見てないけど最近映画「ハクソーリッジ」の舞台の場所です。浦添市役所の説明ページ

多くの人が死んだ場所ってのは、いろいろ考えさせられます。ひとりで来てよかった。

当時の状況を想像しながら進みます。まさにこの場所で、日米両軍の若者が殺しあったのだな。今は草の臭いだけど、当時は火薬や血、人が腐った臭いなど、すごく嫌な臭いだったんだろな。

 

眺めはとてもいいです。北谷方面の海。米軍はあの海から上陸し、この高地を攻めてきたのですね。

 

このジャングルの向こう側が浦添城跡。

 

わたしの説明より、教育委員会の説明をどうぞ。信仰の場所なので荒らさないでね。

 

 

ワカリジーの根元にある前田集落の拝所。

岩が崩れないように接着剤でとめてネットをかけたそうです。

 

 

 

戦跡へ

ワカリジーの北側に降りる道があります。

前田高地平和之碑。

まだ壕があります。ここで日本兵は戦ってたのね。

 

浦添城跡にある看板みると、右手のワカリジーまで行けそうなのにね。

ここに来る人は、日本人より外国人(米兵だけじゃないそう)のほうが多いくらいらしいですよ。浦添市民でも来たことある人のほうがだいぶ少ないと思う。

まあ、平和ってことですねー。

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